ヒーローはいらない世の中
こんばんは、ましゅです。
昨日より謎のシリーズを始めましたが、早速脱線します。
書きたいことを書く、それがブログの醍醐味ではないか。
皆さんはヒーローに憧れたことがありますか?
多分男の人なら、幼少期に仮面ライダーとかウルトラマンとか、正義のヒーローに感化された経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。
困っている人の前に現れて助けたり、突然怪獣が街に現れて、生活圏を破壊しようとするのを阻止したり。
最後は人々に感謝されてその場を去る。
かっこいいですね。
女の私も、憧れます。
実は私は今、そんなヒーローになりたいんです。
困っている人を助けたいんです。
でも、現実世界でヒーローをやるのはとても難しいことではないでしょうか?
何故なら、正義という概念は人の数だけ存在するものだからです。
自分にとっての正義が、相手の正義と同じとは限りません。相手にとっての正義に合致しなければ、ヒーローにはなれない。ただの空気の読めないおせっかい野郎です。
良い例として、いじめ問題があります。クラスの誰かがいじめられてて、それを黙ってみていられなかった子がいじめをしている側に文句を言った。言った本人は自分の正義を全うして満足かもしれませんが、いじめられている側としては、それを本当に望んでいたのかどうかはわかりませんよね。もしかしたら、公になることを恐れて黙ってほしかったと思っているかもしれない。
世の中、実はそんなことが日常茶飯事に存在している気がします。
実は、あまり他者と関わりを持たない・黙っている方がうまく人生を歩める気がします。
また、日本には「出る杭は打たれる」という、なんだかよくわからない諺もあったりします。正義を抱いて社会に飛び出したは良いが、異端者として目を着けられ、右ならえの思想を植え付けていく。そしていつの間に正義への熱を失い、「立派な社会人」に成り果ててしまうことも、残念ながら存在します。
結論として、「正義のヒーロ―」なんてものはただの幻想にすぎません。
ヒーローは、世の中に必要とされていないんです。
あれだけ幼少期の時に対面するのにね。
私もだから、ヒーローになりたくてもなれない。
助けてあげたくても、それはただのエゴに過ぎない。
難しいですね。