苦楽
一つ質問。
あなたは、自分の人生を楽しいと思っていますか?
この質問に首肯できる人は羨ましい。
私は、自分の人生はクソだと思っているし、楽しいなんて微塵も感じない。私の中で生きることは義務であり、権利ではない。両親には申し訳ないと思うけどね。折角大きくなるまで育てていただいたのだけども。
何度かこの世界から逃げようかと考えたことがある。やはりクソみたいな人生を送りたくないし、楽しくない日常は、只々辛いだけ。
でもそれでも不幸なことにまだ生存しているし、そして多分社会の駒として勤めに行くのだろうと思う。倫理とか道徳とか、そういうこの世に蔓延る”何か”に邪魔をされ、淡々と生きて行くのだろう。
人生は、本当に辛く苦しいものだ。
苦しい事柄からは逃避したくなるのが人間の性である。
しかし、そこで私はふと、疑問を感じた。
「苦しい」という感情は、どこから湧き上がるのか?と。
考えてみると、私達は生まれた時は苦しいとい感情を知らないのである。(あっても、それを「苦しい」ことと知るのは成長過程においてであって、生まれつきその概念を知っているわけではない)。何かの折に自分の直面していることが苦しいものだと体得していく訳である。
例えば何かを我慢している時。
例えば頑張っても頑張っても、物事がうまくいかない時。
私は他はそういう時に辛さを感じ、苦しいと思う。
それは、言ってしまえば相対評価なのである。楽や楽しい・嬉しいという、心が湧き立つ感情を知っているからこそ生まれる感情なのだと思う。素敵な時を知っている。それと、上手く物事がいかない、欲通りにならない。これらの現状の落差の比較の結果なのである。
そう考えると、苦しみの感情というのはただ辛いだけのものではないのかもしれない。何故ならそれは、また幸福の日々に戻るための足掻きなのだから。