人生の境界線
これは昨日の出来事だ。
冷えた身体を温めるためにお風呂を沸かした。
お風呂はとても良い。体の隅々までポカポカになれる。
あまりの快適さについウトウトしてしまい、気付かぬうちに寝てしまっていた。
起きた時、私の顔は今にもお湯につかる寸前のところであった。もうちょっと起きるのが遅かったらもしかしたら死んでいたかもしれない。
私の命は、生きながらえたのであった。
しかし、ここで疑問、というか、気になることが湧き上がってきた。
人は死んだ後、どこに行くのだろうか。
私たちの大衆社会においては天国とか地獄とか、仏教に基づく行き先を上げるだろう。キリスト教なら地獄、煉獄、天国があって、所によってはユグドラシルという世界樹に行くと信じる社会もあったりする。また、私たちの生きる社会とそっくりな様相のところに行く、と伝えられるものもある。
死んだ後の人々の行く先は、意外とバリエーションに富んでいる。
私は、死後の世界はこの世界と重なりつつも干渉できないものだったら、はまま
と考えてみた。
わかりやすく言えば、生きてる人も死んでる人も同じ世界に住んでいるということ。でも肉体がない彼らの姿は殆どの人々は知覚できず、実は幽霊の方も選ばれたものでないと生きてる人間を見ることができない。
たまたま視界に入ったから呼んでみたけど相手が知覚していないため会話は成立しない。その逆もまた然り。