ブログ初心者のブログ

好きな物事を人に説明できるようになりたい。そんな意志で頑張ります。

誰でもできるうつ病脱出マニュアル②

どうもこんばんは。ましゅです。

 

4月も半ばなのに、私の住んでる地域はとても肌寒い一日でした。

何を着たらいいか迷っちゃいますね。

いつも4月って、こんな不安定な気候でしたっけ??

 

さて、先日に引き続きうつ病脱出マニュアルその2となります。

 

うつ病ってなんでしょう。

定義を取り上げる・・・なんてことはwikipediaが喜んでやってくれると思うので、ここで割愛しますが、私は、うつほど厄介な病気はないって考えてます。

 

だって、そもそも「病気」というカテゴリー内に存在しているけど実際はうつそのものは病気ではないんですもの。

実際経験したから言えることですが、この病を一言で表すとしたら

 

「思考の癖」

 

なんですもの。

そう、ただの思考の癖。

 

とはいえ、うつを患うと色々身体に影響が出てきますよね。

頭が痛くなったり、胃が痛くなったり、吐き気やめまいがしたり…

 

でもそれはうつ自体によるものではなく、うつで思考の回路が普段と違うものになり、そのことにストレスを感じたことで発生する現象なんです。

 

いわば、うつはゲームの世界でいうところの「魔術師」みたいな存在なのではないでしょうか。魔術師も、格闘家と違ってその人自身に力はないけど、呪文を唱えることで遠隔的に攻撃を行える。うつも、司令塔の役割を果たして誤情報を流すことでその人の身体にマイナス影響を及ぼす。

私は、魔術師とうつの関係は似てるなーって思います。

 

ということは。

司令塔をこちらから操作してしまえばいいわけですよね。

 

その司令塔をどうやって操るか?

明日は具体的な方法をお話したいと思います。

 

それでは。

 

 

 

ヒーローはいらない世の中

 こんばんは、ましゅです。

昨日より謎のシリーズを始めましたが、早速脱線します。

書きたいことを書く、それがブログの醍醐味ではないか。

 

皆さんはヒーローに憧れたことがありますか?

多分男の人なら、幼少期に仮面ライダーとかウルトラマンとか、正義のヒーローに感化された経験を持つ人も少なくないのではないでしょうか。

困っている人の前に現れて助けたり、突然怪獣が街に現れて、生活圏を破壊しようとするのを阻止したり。

最後は人々に感謝されてその場を去る。

 

かっこいいですね。

女の私も、憧れます。

 

実は私は今、そんなヒーローになりたいんです。

困っている人を助けたいんです。

 

でも、現実世界でヒーローをやるのはとても難しいことではないでしょうか?

 

何故なら、正義という概念は人の数だけ存在するものだからです。

自分にとっての正義が、相手の正義と同じとは限りません。相手にとっての正義に合致しなければ、ヒーローにはなれない。ただの空気の読めないおせっかい野郎です。

良い例として、いじめ問題があります。クラスの誰かがいじめられてて、それを黙ってみていられなかった子がいじめをしている側に文句を言った。言った本人は自分の正義を全うして満足かもしれませんが、いじめられている側としては、それを本当に望んでいたのかどうかはわかりませんよね。もしかしたら、公になることを恐れて黙ってほしかったと思っているかもしれない。

 

世の中、実はそんなことが日常茶飯事に存在している気がします。

実は、あまり他者と関わりを持たない・黙っている方がうまく人生を歩める気がします。

また、日本には「出る杭は打たれる」という、なんだかよくわからない諺もあったりします。正義を抱いて社会に飛び出したは良いが、異端者として目を着けられ、右ならえの思想を植え付けていく。そしていつの間に正義への熱を失い、「立派な社会人」に成り果ててしまうことも、残念ながら存在します。

 

結論として、「正義のヒーロ―」なんてものはただの幻想にすぎません。

ヒーローは、世の中に必要とされていないんです。

あれだけ幼少期の時に対面するのにね。

 

私もだから、ヒーローになりたくてもなれない。

助けてあげたくても、それはただのエゴに過ぎない。

 

難しいですね。

 

 

 

誰でもできるうつ脱出マニュアル①

どうもこんばんは、ましゅです。

やはりどうも、夜中の更新が好きみたいです。明日も会社なんですが笑

 

さて、今日からちょっと長いお話を書きたいので、何回かにわけて投稿させていただこうと考えております。今日は栄えある第一回目。

私が過去、自身のうつを克服した時の話を書きたいと思います。

 

まず、私の、うつに対する考えは以下の通りです。

 

・うつは治るものではない。程度が弱まることはあっても、一度発症したら一生付き合わないといけない。

・「考え方の癖」が最大の難点。

・自身と向き合うことで、改善につながる。逆に、向き合わないうちは他人が介入しても快方には至らない。

・「条件付け」が改善に貢献する(ここでの条件付けは、臨床心理学の定義するものとは異なります。)

・周囲は、うつについて色々勘違いしている。

 

あまりまとめることがうまくないのですが、上記が、私が経験を通してうつについて思ったことです。あくまで自分自身の考えなので、もし心優しい方がおられましたら、指摘や意見をいただけますと幸甚です。

何故私がこう考えたのかについては、後々改めて説明したいと思います。

 

今日は、シリーズを始めるにあたり、イントロダクションとして私のうつについてお話します。

 

私がうつになったのは高校2年生の春休みの事でした。

もうすぐ高校3年生。受験を迎える年です。私は偏差値の高い大学に行くことに当時とても固執していて、2年の夏休みから本格的に受験勉強を始めていました。

学校の成績も、自分で言うのもあれですが優秀な部類で、先生からの信頼も厚かったです。

 

勉強はとてもうまく行っていると思っていました。

ですが高3直前の春休みに、突然1分も勉強が出来なくなります。

 

今振り返ると、当時の私は、完璧に「復讐」の為に勉強をしていました。

実は私の父親も、私が中学生の時にうつにかかっていました。会社を離職し、家にずっといて朝から酒を飲んで、泣くし喚くし言動はおかしいし、生活リズムも乱れて本当に嫌な毎日でした。そんな父がよく言っていたのが、

「もっと自分が頭よかったら、良い大学に行ってちゃんと将来のことを考えてたら、こんなことにはならなかったのに!」

でした。(父方の親戚は皆頭がよく、それを引け目に感じていたみたいでした。)

 

周りでも、確かに親が良い大学を出ている人はお金に困ってない。家族も大変な目に合ってない。

頭よくなって、良い大学を出て金稼いでやる。

そして、下克上のようにのし上がって、周りを圧倒させたい。

そう、思っていたんですね。

今思えば、とんだ高校生だったと思います笑

 

でも、元来がおっとりしてて競争ごとが嫌いな性格なので、どこかでそんな私に自分自身にストレスを感じていたのではないでしょうか。それに気づかず邁進しすぎて、私は壊れちゃったんだと思います。

 

新学年が始まり、すぐに不登校となりました。

最初は心配してくれた先生も、受験期に学校も勉強もおろそかにする私を見限るのは、そう時間もかかりませんでした。

親も、まじめでいい子な私が堕ちる姿を受け入れられず、何度も私に包丁を向けてきました。

 

信頼していた人々が敵になってしまった。

私だって、なりたくてなったわけじゃないし。というか、治りたいし。

どうして誰もわかってくれないんだろう?

そして自殺未遂を繰り返してきました。

 

病院にも行きました。

精神科と心療内科、そして親の勧めで民間療法(怪しいww)にも手を出しました。

病院では「うつの症状が強いけど、思春期の不安定さもあり、そして統合失調症のきらいもあり、いろんな症状が混ざっていて病名がつけられない」とか言われました。あと若干の発達障害もある、と。

 

発症して3年間はまともに外も歩けませんでした。

歩くと、すれ違う人々が皆私の悪口を言っているように思えてしまうんです。

あと、当時は太っていたので、自分の存在が迷惑、だとか、脂臭いんだろうな、と自虐していました。

とにかく、社会全体が私のことを非難して、それで楽しんでいるんだって思ってました。あと、馬鹿は死ね、とも笑

 

病院は行きましたが上記の症状が治まることはなく。

金の無駄、時間の無駄、と感じた私は、結局自分で解決の道を模索しては、実践しました。

…それが思いのほかうまく行き、改善につながりました。

 

長くなりすみません。

以上、私のうつについてお話しました。

次回からは私のうつについての考えについて説明していきたいと思います。

至らぬところが多々あると思いますが、お付き合いいただけますと幸甚です。

 

それでは。

 

ゼロの執行人観ました。

今日はアニメ「名探偵コナン」について。

 

どうも、ましゅです。

今日は、コナン好きの友達に付き合って、劇場版名探偵コナン「ゼロの執行人」を観ました。

 

私はコナンはここ数年全くアニメも映画も漫画もみてなかったのですが、いつもコナンのことについて楽しそうに話す友達に感化されて、そんなに面白いなら一回観てみようかなぁ…と思い、足を運びました。

 

取り敢えず登場人物の設定は教えてもらってたのでなんとなく理解していたつもりです。

 

久しぶりのコナンですが、なんというか、想像と全く違くてビックリしました!!

 

まず、ストーリーがとても重厚!

ネタバレになるので話には触れませんが、緩急のつけ方がすごい。話も、今作は個人VS国家機関という、なんとも壮大なスケール。

アニメなのにすごいなー…と思ったら、どうやら脚本家の櫻井武晴さん、相棒や科捜研の女の脚本を書いた人みたいです。あと、東野圭吾原作の麒麟の翼の映画脚本もご担当されていたよう。…日本橋が舞台に出てきたのも、麒麟の翼と何か関連してるのでしょうか?ちょっと気になります笑

 

次に、客層。

昔のコナン映画って子供向けだった気がします。ファミリー向けというべきかな?

 

でも、私が今回行った時は、客層ほとんどが大人。子供なんてむしろいなかったと思います。

 

私が知らない内に、コナンは色々変わったんですね。でも、それもまた魅力的に思いましたし、また来年も観たくなりました。

 

まあ、でも変わらないものもありますよね。

いつコナンは新一に戻れるんでしょう?笑

新一に戻ったら名探偵コナンは終わってしまうと思いますが、ひとりの人間として、全てを解決し終わってからの新一と蘭の再会シーンを見たいものですが!

 

誕生日プレゼントを選ぶ、について。

どうも、ましゅです。

今日は土曜日。だから夜更かしをしても良いに決まってる・・・よね?

 

昨日4月13日は、私の母の誕生日した。

これでも親思いな方だと自負しているので、毎年誕生日プレゼントを買っています。

 

でも、たとえ自分の肉親であっても、誕生日プレゼントを選ぶのって難しいと思いませんか? 特に私の親は物欲があまりないほうで、「○○がほしい」って単語を滅多に言いません。だからかもしれませんね。

 

ちなみに、去年はおしゃれーなお店でレアチーズケーキをホールで買いました。

 

今年はどうしよう、と、会社帰りに駅ビルだとか小売店だとかをグルグルしてました。そして何を買おう? と色々目を配らせていたのですが、ふと気づいたことがありました。

 

視覚に訴えるものを買いたいな、と、無意識に考えていたのです。

 

これまでは食べ物だとか実用的な雑貨だとか、その人の生活の糧に直結するものを選んでいたような気がします。見た目なんて二の次三の次でした。だって見た目優先じゃお腹は膨れないでしょ?

 

でも、今年は何故かこれまでのセオリーが私の中でしっくり来ず。

結果購入したのは、小さい赤いバラと白い小さな花がセットになった花束でした。花を買うなんて、人生でたぶん初めてのことだと思います。選んでいるとき、すごく場違いな感じがして、緊張しました。

 

母はいつになく喜んでくれました。

「あんたが花を買うなんて珍しいね」とも言われました笑

 

私も、自分の選択がとても新鮮です。

何故でしょう? なんとなく、高尚な人物になれた気がして、ちょっと自分自身を誇りに思いました笑

 

でも、やっぱり誕生日プレゼントを選ぶのは難しい。

ぱぱっと決められる人が本当うらやましく感じます。

 

ネタ

もう深夜もいいところですね。

こんばんは、ましゅです。

 

3日連続で更新するのはいいけど、早速奴がやってきましたよ。

”ネタ切れ”という悪魔が。

 

だからといって、ここでネタがないから寝よう!となっては文字通り3日坊主になりかねない。

ということで、ネタがなくても書くという暴挙に出ました。

 

こんばんは、ましゅです。

 

そういえばこの間、ファストフード店で面白い事態に遭遇しました。

私が客で、若い女性の店員さんがオーダーを受けてくれて、その会計時の話。

 

確かお会計が800円台だったのですが、そのとき1万円しか手元になく1万円と端数分の硬貨を渡しました。すると、返ってきたお釣りが200円。

 

・・・ん、なんかちがくない??

この瞬間だけハイパーインフレでも起きたのか、と考えましたが、そんな訳はないですよね。

店員さんもいぶかしがる私の顔を見て察しました。

 

店員「あ、大変失礼いたしました!」

私「あ、いや大丈夫です。」

店員「お釣り間違えちゃうとかヤバいですよね私・・・」

私「いやいや、お疲れなんですよー」

店員「やー、やばいですやばいです」

 

店員さんの初々しい発言に、ちょっと笑いそうになっちゃいました。

でも同時に、なんだか心が和んでしまいました。何ででしょう?理由は良くわからないのですが。

 

またその時の店員さんに接客してもらいたいものです。

次は間違えちゃだめですからね?笑

幸せは、同時期に1つしか叶わないと思う

こんにちは。

宗教法人ましゅです。

 

…嘘です。

 

ふと、帰り道に考えたことについてお話ししたいと思います。

 

「幸せは、同時期に1つしか叶わないと思う」ということについてです。

 

よく巷で、”◯◯をしたら願いがどんどん叶うようになる"…みたいな、1つのことをキッカケに、芋づる方式のように人生が好転する系の話や書籍が人気を博しているのをみかけます。

 

そんなに簡単に人生いくものでしょうか?

私はそう思わないんです。

まあ、そうなってくれたら一番いいんですけども。

 

何故そう思うか?

それは、漢字に着目するとなんとなくわかるかなぁ、と思います。

 

しあわせ。

漢字で書くと、幸せ。

 

幸せって、どういう経緯で感じるものでしょう?私の人生を思い返すと、幸せは、必ず辛い時の後にやってくるイメージがあります。例えば受験勉強とか就活とか、体育会系の人ならめっちゃ練習した結果勝った試合とか。辛いことの報いとして、幸せはやってくるなぁ、と思ったのです。

 

すごくベタなことを言うと、辛という漢字に横線を1本足したら、幸になるんですよね。

その1本の横線が、叶った幸せを表してるのではないでしょうか?

 

また、横線が2本、3本…と増えたら、それは幸という漢字ではなくなっちゃいますよね。

つまり、幸せは一度に1つしか叶わない。

 

でも、人間というのは欲張りなもので、幸せを感じてもその感情は永久には続かず、いつかその幸せを忘れてしまう。そうすると、また辛いなーなんとかならないかなーって考えてしまう。幸→辛の状況となる。そうしてまた、幸せを探し求める。辛→幸への横棒を探し求める。

 

人生ってそんなもんなんじゃないかなって、ふと思いました。

欲張ってたくさんの幸せを求めても痛い目を見るだけだし、逆に、今が辛くてどうしようもないって状況でも、いつか必ず報われる時がくる。

 

まあ、鍛錬を欠いては何事も進みませんがね。